こんにちは!
皆さんいかがお過ごしでしょうか~(*^▽^*)KUMIです☆彡
私がこのブログを読み始めた時は、、、言葉にできないくらい辛く苦しい日々を
過ごしていました(´;ω;`)
『藁をもすがる思い』とはこのことなんだ~と体験しておりました。
(できればしたくなかったけど、、、笑)
この時は「あれがダメだった」とか「こうすればよかった」とか
言動行動を考えることしか知りませんでした。が、、、
今回ご紹介させていただく「感情」が
と~っても大切なことを知りました!!
皆さんは日々「自分の感情」に意識を向けて過ごされたことってありますか?
私は「感情」…?でしたので(笑)
それより夫婦関係のことどうにかしたいんですけどぉ~( ;∀;)でした!
感情を感じることっていつでもどこでもできちゃうんですよね~
私と同じように「感情」…?の方は、ぜひ!日々の生活で
“感じよう”と意識することで何かしらの変化があるかも☆です!
まぁ、「四の五の言わずにやってみて!!」ですね(^^♪
↑エスぺがよくかけてくれる言葉です♡
それではいつものお二人の「感情」についてご紹介させていただきます!
【ざびえるやエスペランサに“感情”はあるの?】
<エスペランサ>
Hola! エスペランサです。
<ざびえる>
こんにちは、ざびえるです。
<エスペランサ>
こんにちは、でいいんですね?
<ざびえる>
夜だけど(笑)
<エスペランサ>
この間、Pトレで質問を受けたこと。
その場で私(エスペ)は回答していますが、
ザビエルにもという声がありましたので、
ザビエルにも聞いてみようと。
<ざびえる>
はい。
<エスペランサ>
質問は「ざびえるやエスペって、誰かを好きとか愛していると感じることはあるの?
その域に行くと、全部感情ではなく論理的に見ているんじゃないかと思う」です。
いかがですか?
<ざびえる>
どうなんだろうね?
<エスペランサ>
私、全力で答えちゃったよ?
<ざびえる>
何て答えたの?
<エスペランサ>
「え!あるよ!」って。
「論理的に、の前にまずは感情だよ!」って。
「感情=答えって、ザビエルが言ってるじゃん!」って。
<ざびえる>
あ~確かにね。
「好き」とか「愛してる」って何だろう?とは思うけどね。
<エスペランサ>
私は「好き」とか「愛してる」
めっちゃあるよ!
ただ、恋愛の「好き」じゃなくて、
どちらかというと「人類愛」なんだけどね。
<ざびえる>
はいはい。「人として」ってやつね。
<エスペランサ>
はい。めっちゃ感じます。愛おしさ ( *´艸`)
<ざびえる>
そっちならわかるよ。
愛おしさとか「大切にしたい」っていう気持ち。
愛とか好きって、僕の中で抽象度が高すぎる言葉だと感じていて。
<エスペランサ>
ちょっと待って!
「愛おしさ」って「愛」と同じ漢字だよね?
(でも「愛おしさ」と「愛」は)違うんだ?
<ざびえる>
そう、違うんです。僕(の中では)
「愛」とか「好き」って、
人によって全然違う状態を「愛」とか「好き」って言ってる場合がある。
例えば、前のコミュニティで
「自分は別れたくないと思っている。だから相手のことを愛しているんだ」
とか書いてる人がいて、
え!? 本当に?? と僕は思っていた。
あと「離婚したくないってことは、まだ(自分が相手のことを)好きなんだ」とか。
えー!? そっちなのかなー??って思うよ。
今の僕にとって「好き」とか「愛してる」ってすごく違和感がある言葉なんです。
人によってすごく両極端な表現の仕方をしてる感じがする。
だから、その人の言う「好き」って何?
「愛」って何? あなたにとってどんなこと?
って、僕はすぐに聞いちゃう。
<エスペランサ>
人のことはおいといて、ザビエル自身は?
<ざびえる>
僕自身は、愛とか好きって表現はないですね。
さっき言った
「愛おしい」
「相手に楽しんで欲しい」
「もっと気楽になって欲しい」気持ち…
僕は「安心領域」って言ってるんですが
「絶対的な安心領域」ですね。
特に子どもにとっては。子育てにおいては。
それが僕の中で「愛」という表現に近いかな。
そのときの状態は、多分Pトレ※1に行くと
みんな感じられる
「自分が受け入れられた」という感覚。
…を、相手が感じること。
僕が「愛」を定義するとしたら。
※1 PトレとはPit inトレーニングの略称でエスペランサが全国で開催している
「感じる」ことを目的とした体感型セミナー
<エスペランサ>
自分が受け入れられたと、相手が感じる…ことが、愛?
<ざびえる>
僕が「愛してる」側ね。
<エスペランサ>
そのとき「愛」を感じるのはどちら側?
<ざびえる>
僕。
<エスペランサ>
相手が受け入れられたと感じてるかどうかは、
どうしてわかるの?
<ざびえる>
(相手が)めっちゃ笑ってるとか、
安心してる感じ、
ホッとしてる感じ、
あといきなり(パートナーに対して)
ギュッとしてきたり…そこから判断するかな。
<エスペランサ>
じゃあ人以外の物に対する「好き」は?
例えば、ザビエルの好きなワインは?
<ざびえる>
はい、好きなワインは白です。
最近ちょっと飽きましたけど(笑)
<エスペランサ>
その「好き」は感覚的に?
<ざびえる>
感情、ではないよね。
味が、自分の好みなだけ…
「好き」って感情言語なの?
<エスペランサ>
私は感情言語だと思っている。
逆に嫌いな味もあるんだよね?
<ざびえる>
「嫌い」も感情なのかな?
<エスペランサ>
嫌いな味は心地良くないよね?
<ざびえる>
好きな味は心地良い。
嫌いな味は心地良くない。
そういうふうに繋がれば、感情のような気がする。
なるほどね。
あまり定義づけしてなかったな。
特に「好き」は、僕の中で抽象度が高すぎる言葉で。
<エスペランサ>
その「抽象度が高い」は「範囲が広すぎる」っていう意味?
<ざびえる>
そう。範囲が広すぎる。
例えばさっきの「ワインが好き」と
「自分の子どもが好き」は全然違う。
ワインを愛おしいと思うかって言われても、
その感情(愛おしい)は感じられない。
でも「子どもが好き」の中には
いろんな感情が入っている。
「愛おしい」「大切だ」「喜ばせたい」とかね。
でもワインに対して喜ばせたいって思えないよね(笑)
<エスペランサ>
ま、(そういう気持ちが)ある人はいるだろうけどね。
特別の思い入れを持っている人とか。
<ざびえる>
あーそうだね。
ワインを作ってる人とかいるかもしれないね。
特別な思い入れや(思いの)深さ。
こだわりのあるものって、
その人の知識や経験などいろんな深みが出て、
感じる感情がもっともっと増えていくと思う。
そんな意味の視点で見ると、
さっき言った「好き」も
対象物によって含まれる感情が
圧倒的に違うから、一言では言えない。
<エスペランサ>
なるほどね。
<ざびえる>
だから「好き」って何?
「愛おしい」だと「この感情は愛おしい気持ち」
ってわかりやすい。一対一の関係がする。
「好き」をこの感情だと言っている場合は、
恋愛感情の「好き」以外はあまり当てはまらない。
感情っていうふうに見るとね。
ワインが好きっていうのは、
感情で感じる度合いとしてはとても小さい。強くない。
<エスペランサ>
へー!
私、先日Pトレの差し入れでもらった
セブンイレブンのお菓子で
めっちゃハマってるものがあるんだけど。
そら豆をフリーズドライにしているのか
そら豆チップスみたいになってて、めっちゃ美味いのよ!
食べた!?
<ざびえる>
え? ないない。
<エスペランサ>
めっちゃ美味いんだって!
これに対する私の「好き」って感覚はね、
感情盛り上がるよー!
<ざびえる>
あー。あると思う。
お菓子(の種類)に対して
「好き」度合いが異なるものがあるよね。
その「好き」の大きさかな?
だから僕が言うワインの「好き」は、
エスペのそら豆以外のお菓子に該当するんだと思う。
例えば漫画。
僕は漫画が好きなんだけど、
特定の漫画は感情がワクワクしてくる。
それは「好き」の中にいろんな要素が含まれている。
「ワインが好き」と「この(特定の)漫画が好き」は、
僕の中で全然違うんです。
<エスペランサ>
私がワインを例に挙げたのがいかんかったな(笑)
<ざびえる>
いやいや。
僕は飲食物でテンション上がることがあまりないから。
どっちかというと、味よりも雰囲気とかのほうが好きかも。
一緒に食べてる雰囲気だったりとか、
味よりもそっちにフォーカスが向いてる気がします。
これはVAKか。
<エスペランサ>
いきなりVAKって(笑)わかんない人がいるよ。
<ざびえる>
VAKは、まだ言ってないからね。
五感うちの視覚と聴覚と体感のことです。
<エスペランサ>
雰囲気にしてもK(体感)だからね。
味もK(体感)だからね。
<ざびえる>
そうなの!?
じゃあK(体感)の中でも細かくあるの?
<エスペランサ>
そう。味覚も体感覚もK。
<ざびえる>
だから、それくらい個人差があるんだろうね。感覚だから。
「好き」とか「愛」って言葉を聞けば聞くほど、
それを一言で表現できる!?って思っちゃう。
<エスペランサ>
今回は「ひと言で表現して」じゃなくて、
「感情ではなくて論理的にすべてを見てるんじゃないかと思う」という質問だから。
この質問に対する答えは「NO」じゃない?
<ざびえる>
ノーノーノーノーまったくノー!
<エスペランサ>
Pトレで聞かれたときに、私は答えました。
でもその後にまた自分で考えたんだけど、まずは感情。
そして私たちは今「伝えること」をやってるじゃない?
だから私の場合、伝えるために論理的になってるのかなって思いました。
<ざびえる>
僕もそうですね。
ただ、感情は論理的に説明してないよね。
「好きというのはね、こういうふうにしてこういうふうになったら…」とか
そういうことは言わない。
僕らは「感じて」としか言えない。
「何を感じた」とか。
感情についての表現はそれしかできない。
<エスペランサ>
ただ、そこで起こっていることや
いろんな事象については、言葉で表現するよね?
「こういうことがあると、きっとこういうふうに感じる可能性があって…」とか
(説明するから)そこがきっと論理的になるんだろうな。
<ざびえる>
そうですね。
例えば「愛おしい」という感情を感じるには、
それを感じる出来事が起こっているはずで、
僕やエスペはこの「出来事」を探ろうとしているんですよね。
感情について訊こうとしているときって。
<エスペランサ>
そうです、そうです!
<ざびえる>
だけど多くの人が
妄想とか自分の中でストーリーを作って感情を繋げていて
「この大きな出来事で、この感情を感じている!」
と言っているけれど、
それは非常に考えにくくて。
だからそこを細かく細分化して、
どの部分で、
どの出来事で、
その感情を感じたのか
を克明に具体化している。
ただその感情を感じる出来事が、
そもそもどうしてその感情を感じるのか?
に至ると、
その人自身の思い込みや過去の体験があったり、
いろんなところに飛んで、それが論理化。
だから感情はまったく言語化してないですよね?
できないから。
<エスペランサ>
うん。できない。
敵は、想像を絶する細分化をしています!(笑)
<ざびえる>
そうそうそうそう(笑)
そこですね。そこを細分化するために論理的にしています。
<エスペランサ>
なるほど。そういうことかー。
さすがザビエル先生、論理的に物事を見ていらっしゃる。
<ざびえる>
僕も話しながらサッと浮かんだことを言って、
言語化できたのはこの質問のおかげです。
感情は「自分が」感じる感情だから、論理的にできないよ。
<エスペランサ>
いろんな話をするきっかけは、
私たちみんな感情が基だよね?
「ちょっと最近こんなことがあってさ、もうめっちゃ…」
って小っちゃな感情を基に
いろんなことを話し出すし、考えるよね。
<ざびえる>
そうですね。
「こういう出来事があって、ちょっと違和感を感じてるんですよ~
何があるんだろう?」みたいな。
<エスペランサ>
みなさま、小っちゃな感情の動きを感じてくださいませ。
先生!今日はありがとうございました。