こんにちは、ザビエルです^^
それでは、今日は、最新の子育てパート2ということで、「相手の存在を認める」ことについてお伝えしますね。
パート1は自分が悪い、相手が悪いではなく自分の中に答えがあるです。
この言葉を言うと、よく、相手の存在を認めるって、
・子供が宿題をしないのも、点数が悪いのも全部受け入れろってことですか!?
・欲しい物は全部買って与えれば良いんですか!?
・ゲームも好きなだけやらせればいいのですか!?
と言われたりしますが、全然違います。
僕が認めると言っているのは「存在」であって「行動」ではありません。
はぁ!?どういうこと!???
と思われるかもしれません。
もう少し説明しますね。
僕の中で「存在」を認めるとは、その子の「想い」を認める事だと思っています。
たとえば、
・子供が宿題をしたくない「想い」
・〇〇が欲しいという「想い」
・ゲームがやりたいという「想い」
こういう「想い」は理解しようとします。
この「想い」を理解した上で、どこからその「想い」が生まれたのか?を知ろうとして、どうしていくのか?を夫婦間や子供と話し合うことが大切だと思っています。
強制的に、宿題をやらせる、我慢させる、ゲームをやめさせるなどの、〇〇をやらせる、〇〇をやめさせるという選択を取ると、子供は自分の「想い」を否定されたと感じます。
そして、想いの否定を続けていると、子供は自分の存在を否定するようになります。
すなわち、、、
自分の想い=自分の存在(に近いもの)
ということだと僕は思っています。
ではなぜ、自分の想いが否定されたと感じると、存在が否定されたと感じるのか?
人はいろいろな事を想います。
その想いの中には、良い事ばかりではなく、人に言えないドロドロしたものや汚い部分、卑怯な事だったり、知られたら軽蔑されるような事だってあると思います。
僕の中には、人間とは、綺麗なところも汚いところもあって人間だと思っています。(綺麗なところだけの人間なんていないし、汚いところだけの人間もいないと思っています。そう見せる人はいるけどね(;'∀'))
しかし、多くの場合、綺麗で正しい「想い」しか認められず、汚くドロドロした「想い」は否定されます。
その結果、汚くドロドロした想いや、そう感じる自分がおかしいんじゃないか?という「間違った思い込み」が起こります。
これが続くことで、実は、自分と言う人間はおかしくて、ダメなやつなんじゃないか?と自己否定が始まります。
自己否定を続ける事で、そもそも自分は存在してはいけないのではないか?という認識が強くなっていく。
たとえば、夫婦関係であれば、浮気や不倫などはわかりやすいですよね。
結婚することで、
自分は他者から必要とされている=自分は存在する価値がある
という想いが芽生えたりします。(すべての人では無いです)
しかし、浮気や不倫をされることで、存在を否定されたかのように感じ、怒りや悲しみの感情が芽生える。
では、浮気や不倫をした人は悪なのか?というと、そうではなく、
そもそも、相手が浮気や不倫をするに至った経緯を紐解いていくと、浮気や不倫が起こるもっと以前から、パートナーは存在を否定されていると感じていた可能性があるわけです。
先ほども書きました。
強制的に、〇〇をやらせる、〇〇をやめさせる、こういうことをすると相手の「想い」を否定する事になる。
そして、↑を続ける事で、相手は存在を否定され、必要とされず、認められないと感じるようになる。
・・・その結果、いつの間にかパートナーの「敵」となっていく。
敵だと認識した相手は、あなたを攻撃してきます。(もしくは、大切な人から存在を否定されることで、自分を攻撃し続ける場合もあります)
暴言、暴力、借金、浪費、仕事が安定しない、うつ、浮気、不倫、別居、離婚・・・ありとあらゆる問題が起こる様になります。
子供の場合は、
不登校、ひきこもり、家庭内暴力、激しい兄弟喧嘩、非行、家出、いじめ、いじめられる、犯罪行為などの問題が起こり得ます。
また、これは完全に僕の主観ですが、発達障害や不安症、アスペルガー、ADHD、ADDなど、、、”存在を否定されている”と感じる子供は、自分を責め続け、あらゆる精神疾患を引き起こすと考えています。(すべてでは無いですが)
では、「存在」を認めるにはどうすればいいのか?
先ほどの説明で言えば、相手の「想い」を認めることになります。
そして、「想い」を認めるには、相手の「想い」を知る必要があります。
相手の「想い」を知る為には、自分自身が持つ正しさ、思い込み、解釈というフィルターを外さなければ、本当の姿は見えてきません。
このフィルターは、
・自分は幸せになってはいけない
・自分は愛される価値がない
・自分を大切にされない
・もっと頑張らなければならない
こういった「無意識の思い込み」によって作られている場合がほとんどです。
⇒自分は幸せになってはいけないと思っているから、子供には幸せになって欲しい
⇒愛されないと思っているから、愛される子供に育てたい
⇒大切にされないと思っているから、人から大切にされる子供に育てたい
⇒自分も頑張っているけど認められないから、もっと頑張る必要性を子供に伝える
でも・・・そもそも自分の中で、「幸せ」「愛される」「大切にされる」ことが一体なんなのか?が、理解できていないと”答え”を探します。
そこで、世間の常識や権威のある人、有名な人の意見を信じてしまう。
「そうか、これが答えなんだ!ヾ(*ΦωΦ)ノ ヒャッホゥ」
とあたかもそれが真実かのように信じていく。
自分の中の「答え」が見つかったので、全力でそこを目指す。
しかし、「答え」が正しいので、その「答え」通りにできない自分を責めたり、
その「答え」通りにしない他者を責める。
逆に、もっと偉い先生が、その「答え」は間違っていて、私の「答え」が合っているんだ!と言う事で、新しい「答え」を見つける。
今度は、その「答え」に進むために、全力で進む。
・・・そして、信じる「答え」に向かい、誰かや何かが悪いという戦いをしながら、「答え」を探す旅は、ずっと続く。
しかし、残念ながら「答え」は、一生見つかる事はない。
なぜなら、答えは、本の中や自分の親、偉い先生、宗教、宇宙、目に見えない力の中には無いから。
当然ですが、僕の中にもありません。(だからこそ、どうすれば良いのか?という質問に答えられないのです。)
では、どこにあるのか?
それこそ、何度も言っているように、
「自分の中」
にしかないのです。
あとは、自分とどう向き合うのか?
まぁ、これが簡単では無いんですよね(;'∀')
やっぱり何十年もかけて、自分の無意識の中に刻み込まれたものなんで。
だからこそ、僕は夫婦関係がどんな状況だったとしても、お子さんとの関係に関わらず、ご自身の幸せのために、自分の答えを探して欲しいなぁ~と思っているわけです。
その先に、夫婦関係の改善(もしくは、新しい道)、お子さんとの関係改善へと繋がっている!と僕は信じています。